Listenいわき &
「原発と私たちを考える勉強会(第3回)」共同企画
「震災の現場に立って 〜福島と東京の間で感じた距離〜
シャプラニールの職員 内山智子さんと考える」
「原発と私たちを考える勉強会」の第3回目は、
「Listenいわき」(http://www.shaplaneer.org/listen/listen.html)との
共同企画として、
12月10日(土)14時〜16時、「ラ・ケヤキ」(新宿区内藤町)を会場に行いました。
(それに先立ち12時〜は、DVD「原発、ほんまかいな?」(PARC制作)の上映もしました。)
東日本大震災発生直後から、支援から取り残された福島県いわき市に入り、
9ヶ月間にわたり、
国際協力NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」
(以下、シャプラニールと表記)の
緊急救援および復興支援活動に携る職員・内山智子さんより、
震災直後の様子から現在の状況や課題をお聞ききしました。
「東京」と「いわき」を行き来する中で、内山さんが感じた様々な想いを共有し、
私たちは今後どんなスタンスで震災復興に関わったらいいのか、
を一緒に考えられればいい、と思っての企画でした。
参加者は、
*いわきの方々はどうしているのか、事実を知りたい。
*マスメディアでは伝わって来ない話を聞きたい。
*(NGO)スタッフとしての想いを聞きたい。
*いわきの人々の生の声。特に、原発をどう思っているのか、お聞きしたい。
*この9カ月をあらためて振り返って、伝えてほしい。
*東京に居る私たちには何ができますか?
*福島の方々の声を聴きたい。現状を知りたい(内山さん目線で)。
などについて内山さんに聞きたいと、期待を寄せて集まってきていたようでした。
参加者の数は、話し手の内山さんも含めて12人(20才台〜60才台)と、
こじんまりとしていましたが、被災の状況を、いわきの現実を、
車座になって、本当にじっくりと聴く会となりました。
首都圏に住む参加者にとっては、初めての、
本当にリアルな被災地の話だったかと思います。
話す方の内山さんにとっては、
「東京」と「いわき」の間で感じた違和感を形にする場でもありました。
当日の内山さんの話を元に、「勉強会」の企画メンバー・東が聞き取ったことを、
報告とさせていただきます。(以下、文責・東)
(1) 「娘は将来結婚できなくなってしまう。」
震災直後、岩手県や宮城県に、多くの国際協力NGOらが支援に入る中、
シャプラニールは、あえて福島県いわき市に入りました。
「シャプラニールいわき連絡会」の吉田さんとのご縁があったからですし、
より支援の届いていない、取り残された人・地域に協力すするのが、
NGO・シャプラニールの元々のモットーだったからでもありました。
しかし、地震と津波の被害に加え、福島第一原発の事故もかかえ、
福島は本当に大変な状況にあります。
それが、上記の小見出しに象徴されているといっていいでしょう。
シャプラニール対しても、
*放射能汚染のあるそんな所に支援に入って大丈夫なのか?
*福島で支援活動をすることは、住民がそこに留まることを助長するのではないか?
などの意見が寄せられることもあったそうです。
そして、内山さんが言いました。
「(福島出身の自分の)娘は将来結婚できなくなってしまう。」と、
小学校5年生の女の子をもつ父親が静かな怒りとともにつぶやいたと。
原発の事故の直後、県外、主として首都圏に避難した、いわきナンバーの車は、
駐車している間に、車体に傷を付けられるなど、様々な嫌がらせにあったそうです。
福島第一原発の電気を使っていたのは、
他ならぬ首都圏の私たちだったにもかかわらずです。
また、いつの頃からか、
福島は「フクシマ」と呼ばれ書かれるようになってしまいました。
原爆投下を受けたヒロシマ・ナガサキにつながる、被曝地としての「フクシマ」。
「福島イコール原発事故」となってしまい、
地震や津波の被害者は忘れ去られる存在となってしまったとも言えます。
しかし、「フクシマ」と書かれた側の気持ちはどうでしょうか?
先の小学校5年生の娘さんを持つ父親の気持ちを考えなくてはなりません。
福島県外の者によって福島が「フクシマ」と書かれると、
福島の人々を傷つけることにもなってしまう、と内山さんは言います。
そして、福島には津波被害にあった人たちが居ることを忘れないためにも、
「Listenいわき」の企画では、津波被害にあった方々の話をお聴きしたいのだ、と。
(2)被災者は100人100色―その声を聴く
内山さんは、報告を続けます。
最初、避難所に避難して来た方々の中には、お年寄りが多く、
一人暮らしの方も多く居たようです。
その中のお一人のある老女が、ポツリと言ったそうです。
「私には、行くところがないの・・・・・」、と。
東京に親戚が居るそうですが、受け入れてもらえないとも。
また、家が壊れてはいないので避難所に来る程ではないが、
補聴器の電池がないかどうか避難所にやっとの想いで来たご老人も居たそうです。
目も、足も悪いので、
補聴器の電池がきれたら、それこそ何もわからなくなってしまう、
という不安を抱えて避難所に来たようだったというのです。
内山さんは、強く感じたようです。
被災者一人ひとりの状況をゆっくり聴くことが重要だと。
そして、シャプラニールは、緊急支援の時期を脱し、
避難所の運営が一段落した頃、5月に入ると8月までかかって、
被災したお宅に1軒1軒、お鍋とまな板などの調理セットの物資を配給しながら、
お話を伺う活動をしたそうです。
その数950軒。
お話を伺う、
つまり、傾聴する中で、被災した方々の気持ちでわかってきたことがいくつかありました。
*被災したのは私だけじゃないからね。(他の人も大変。だから自分も頑張る。)
*余震が怖くて外に出られない。
*自分だけが助かってしまった。(≒他の方が亡くなるのを見てしまった。)
*やっと眠れた。(避難所から仮設住宅に引っ越してから)
*一日何もすることが無い(農業もダメ、漁業もダメ、草取りもできない。)
*こんなにしてもらっていいの?(調理器具セットを貰って)
*元の場所に戻りたい(原発の避難区域の方)。
戻れるのか戻れないのか、誰か、判断してほしい。
いわき市は、人口34万人だそうです。
そこに、原発のあった双葉郡からの避難民が3万人加わり、
逆に、福島県全体で、県外に避難しているだろう方々が6万人程いらっしゃるそうです。
県外の方々の中には、「福島の人は、何で逃げないで、そこに留まっているのか?」と、
不思議がる方もいるそうですが、
内山さんによれば、お一人お一人の事情を聴くと、
やむに止まれぬ状況の中、福島に残ると決断した方々が多いとのことです。
働くところと、住むところ、補償の問題など、複雑なのだと推察します。
テレビの報道でも、老夫婦を残して、小さい子どもの居る若夫婦だけが県外に出る家庭が少なからずあると報じられていて、分裂はそこここで起こっているようです。
(3)被災地が抱える課題
お話の、最後は、内山さんから見た、被災地「いわき」の抱える課題のまとめでした。
① コミュニティの分裂
② (仮設住宅や雇用促進住宅に入居したが)土地勘がなく、知り合いも居ないので不安
(病院がどこにあるか、などがわからないので不安)
③ 高齢者、要介護者、病人の居る世帯の多さ
④ 精神的ショックの大きさ(例:自分だけが助かってしまった。
≒他の人が亡くなるのを目の前で見てしまった)
⑤ 買い物・通院・通学の不便さ(交通手段がない)
⑥ 情報不足(避難所を出てしまうと情報にアクセスできない。インターネットも車もない)
⑦ 仮設住宅や雇用促進住宅に入居した家庭への支援の集中
(反対に、民間アパートに離れて入居した被災世帯には支援が届かず。
そして、1人ぼっちで、かつ、周囲は被災していない人たちばかりという孤独感。)
⑧ 先の見えない不安 → 復興はまだ見えない。
(原発をどうにかしてほしい。とにかく、止めてほしい。という想い)
上記のようなことをふまえて、シャプラニールでは、
(平市にある)いわき駅前のラトブという商業施設の2階にスペースをお借りすることができたので、被災者のための交流スペース「ぶらっと」(http://ameblo.jp/sniwaki/)を、2011年10月9日に開設しました。
これで、少しでも、編み物をしながらでも、折り紙をしながらでも、
気持ちを通わせながら、被災した方々が情報交換をしたり、
お互いの元気な様子を知り合ったり、できるようになるでしょう。
ということです。
しかし、内山さんは最後に、
原発の事故があった以上、
福島に暮らす方々は、
放射線という目に見えない恐怖と不安に日々苛まれていることには変わりがなく、
反対に、福島≒原発事故ということだけで語られがちだが、
そこに日々暮らしている人がいることを忘れてはいけない。
と語り、
原発事故の被害者だけではなく、津波被害や、家族や家を失った人も居る。
福島をひとくくりで語ることはできないと、強調しました。
(4)参加者から一言ずつ
最後に、質疑応答があってから、
参加者1人1人に、
今日の内山さんの報告を受けて、
感じていることを漢字1文字もしくはワン・フレーズで表しながら、
感想を言ってもらいました。
*(被災者)それぞれの背景を尊重することの大切さ。 ♥(ハートマーク)忘れないこと。
* 「結(ゆい)」:普段より大切にしていきたい近所の人とのつながり。
ショミティ(バングラデシュの相互扶助グループ)の大事さ。
地域リーダーの存在と話し合えることの重要さ。
継続していくこと。Imagination。
*「行政」:今日の内山さんの話の中に、「本来は、行政がやることなのですけど・・・」という言葉が何回も出たので、行政の役割について考えさせられた。
*「生活」:様々な人の様々な生活があるこということが印象深かった
*「気持ち」:(感じたり、考えたりする?)気持ちが大切。
*「継続」と「想像力」:内山さんの話で今日はこの2点の重要性が強く喚起されたと思う。
*「自分に問い続ける。」
*東京の私たちに何が出来ますか?
*(政治的なことも含め)自分の想いを発信していける人を周りに増やして行きたい。
言えないのではなく、言えるようにしていく。
*「漠」:カンボジアの難民支援を思い出した。「まだまだこれから先は長い。」と感じた。
*言葉にならない(埼玉アリーナに避難してきていた福島の方々はどうしているだろう)
*言葉にならない(福島の人と言っても、実は様々な人がいることがわかった。マスメディアの情報で知って終わりにしていた自分がいたということを感じた。)
内山さんは、最後に、「聴」という文字を掲げ、
ただ聞くのではなく、福島の人々の声に耳を傾けていくことの大事さを訴えました。
また、シャプラニールを創設したFZ氏は、
(被災の)現場に行った人と行っていない人との
(感じ方や経験の)ギャップは大きいので、
それを埋める話し合いが必要だと、締めくくりました。
総じて、話す側も聴く側も一緒になって深めあって、
じっくりとした時間が流れたといえましょう。
最後の最後は、「Listenいわき」のアクティビティの1つ、
「光の鳥」のカードに参加者がお一人お一人の思いでメッセージを描いて、
それを、いわきに贈ることになりました。
「Listenいわき」の活動は、「Feelいわき」として、
2012年2月10日〜12日に、いわき市を訪ね、
地元の方々に話を聴く活動に引き継がれます。
実際にいわきに行って「見る」、
いわきの人たちに話を「聴き」、「実感」する。
そして、「語り合う」ツアーです。http://www.shaplaneer.org/listen/feel_iwaki.html
また、「原発と私たちを考える勉強会」の第4回目は、
2012年3月10日(土)14時〜16時、
「自然エネルギーの可能性と課題」というテーマで、
環境エネルギー政策研究所(http://www.isep.or.jp/)の
松原主席研究員を招いて行います。
(会場:東京・表参道/環境パートナーシップオフィスEPO、http://www.geoc.jp/popup/epo.html)
どちらも、どなたでも参加できます。
どうぞ、ご参加ください。お待ちしています。
以上 シャプラニール・ボランティア有志「原発と私たちを考える勉強会」による報告
(「いわき」の写真提供:国際協力NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」)
(「会場」の写真提供&文責:東 宏乃)
以下は、東の独り言。
継続とimagination、
聴くこと・・・・・・
私の中で、大きな余韻の残る、いい場となりました。
報告が遅くなったことをお詫びします。
2012年1月7日、元旦の地震の影響か、
福島第一原発の4号機のプールから水漏れが起こっているそうです。
また、一刻の猶予もない事態に近づいているのかもしれません。
「原発と私たちを考える」の勉強会も、「継続」して行くことが大切のようです。
(2)
原発事故は他の災害とは全く異なる。神戸の経験が活かされていない云々と書きたいところだが、一刻も早く避難させる様な支援をすべきだ。若い人優先だが高齢者ばかり残すことはできないだろう。
残留者を支援することが避難させない、呼び戻すことに加担していることになる。
声を聴くと言うが、職員は洗脳されているし、マスメディアは本当のことを伝えていないのだから、情報を伝えた上での意見でなければならない。ディジタル・デバイド、メディア・リテラシーが今回は顕著に表れた。
私の周辺でやや放射能が高い地域ですら母親たちは不安に思っているが、福島は心配する状態を遥かに超えている。
神戸では市内の避難所で肺炎で何人も亡くなったが、福島ではジワジワと死に向かっているのだ。
県外に住んでいる人がすべきことは
・福島県人を受け入れる様に地元に働きかける。
・自主避難者への支援を地元自治体に負担させ、その費用と賠償・慰謝料を一緒に東電に請求する様に求める。
・瓦礫は受け入れない様に求める。
・全ての原発の廃止を求める。
・原発の輸出を、輸出先の人たちと連携して阻止する。
「Feel いわき」の日程が若干変更になりました。
2012年2月11日(土)朝6時45分 新宿出発 〜2月12日(日)午後8時頃 新宿帰着です。
詳しくは、「Feel いわき」のWEBページをご覧ください。
私も参加します。ぜひ、ご一緒に。