バングラデシュの首都ダッカから、まず、ガンジス川を船で渡り、さらに西へ車を飛ばして5時間、
地方都市ジョソールへの道は、田園都市風景が車窓に広がる美しい旅だった。
首都ダッカは1000万人以上が暮らす大都市で、人も車もとても多い喧騒の街だ。
そこから車で1時間半も離れると農村地帯となる。
田んぼと、椰子の木と、ジュート(黄麻)の畑が広がり、地平線すらも美しい。
日本となんという違いか!!!
今、帰って来てその風景を思い出してもため息が出てしまう。
農民は、ぼろ布をまとい素足で畑や田んぼで働く。
イスラム教の国なので、女性は田畑の仕事には出ずに、屋敷地周辺で家庭菜園と牛の肥育に精を出す。
途中、蜂蜜屋さんとミスティー(牛乳から作った甘いお菓子、甘くしたカテージチーズを丸めたもの)のお店に寄る。
今夜、泊めてもらうお家へのお土産だ。
夕方、やっとお目当ての村、ジョソール県サティアントラに着く。
庭木や果樹に囲まれたうっそうとした村の道は入り組んでいて、
「トゥヒンさんの家はどこですか?」と運転手さんが聞きながら、うねった道をまわってたどりついた。
大きな家だ。
まず、おばあさんが出てきてくれる。歯がないが、家長の息子より貫禄がある。
孫娘たちが私が交流することを望んで来た子達だ。
ティティ・18歳、シンパ・16歳、美しい娘だし、何より、美しい年頃だ。
髪を短くしたままの女の子はエディン・9歳、末っ子は、アティシャ・4歳。
これに、15歳の男の子と、17歳の男の子がいる。
それに、母親達が3人。
つまり、この子達6人は、従兄弟どうしなのである。
ティティの御父さんは、10年前に事故で亡くなったそうだ。
その後、シンパの御父さんが、ティティと15歳の弟、そして彼らの母親のめんどうを見ているそうだ。
そういう意味では、相互扶助の精神が生きている。
親戚が助け合って大家族のように暮らしている。
その点は、バングラデシュだけでなく、アジアの農村部の特徴と言っていいだろう。
家族の紹介が終わると、こんどは、お客様の品定めだ。
ティティやシンパと英語で話す。
私の家族構成を披露する。
東京に住む核家族、しかも、結婚していなくて子どもも居ないとなると、紹介するのも寂しい。
しかし、こちらもがんばる。
年頃の娘さん相手なので、私の20代30代に起こった結婚適齢期特有の出来事を話す。
うける、うける。
仕事優先だったというくだりでは、結婚していないのもうなずいてもらう。
子どもが居ないとなれば、末娘のアティシャ(4歳)をくれるとも言う。
豪快な話だ。
しまいには、ティティの母親が、子どもたちは置いて行くから、私の家のある東京に家政婦をしに行ってやってもいいいと言い出す。
私の反応を見ているのだ。
結果、正直な性格の私が露呈する。
あわてたり、困ったり、はたまた、真面目に受け入れたり。
バングラデシュでパートナーを見つけてあげてもいいよ、とも、家族みんなは言う。
途中、近所の人も「日本人」を見に来る。
そんなことの1つ1つの反応を見て、夜になってからだが、
ティティが下した判断は、「アズマは、誠実でとてもいい人だ。」と言うことだ。
込み入った話はお互いに母語ではないので多少通じない点があっても、
私の表情や全身の身振り手振りが、私を相手に伝えてくれる。そうやって、受け入れてもらった。
まるで、1つのワークショップのようだ。
チェックインがあり、夜になって、水浴びで、一段落。
夜7時以降は計画停電なので、ろうそくの灯りで、話を続けた。
それは、チェックアウト。
おいしいご馳走の話や美しい2人の姉妹の話は、また、後日。
人と人っておもしろい。
私はつくづく人が好きなんだと思った旅だった。
あぁ。あの村に帰りたい。
瞑想をした池と、池の向こうの森が忘れられない。
ジョソール県サティアントラ村